
お盆ですね。
うちの地元では写真とは違って
今日の夕方にお墓に灯をともしにいきます。
ご先祖様が迷わないように、わかるように、と継承されてきました。
(何だかこの辺りは昔から敢えて、曖昧な表現をするんです←ここについてはまた改めて)
ということで、私も先日は
夫、私の方それぞれに
普段と違った親戚との関りがあり
その動き・作用によって
思い込みや概念に気づき
更に目が醒める機会となりました
今回の関りから目が醒めたのは
親戚との会話で何度も出てくる(私の同級生とも)言葉に
人ってやり取り、循環で成り立ってる
見返りとはまた違って「やり、と、とり」で
成り立ってる
という言葉が頻繫に出ていました。
そこから、やり取りのできない人ってな~。。。←良くない的な扱いに移り変わっていった。
そして会話はみんなそれぞれの「思い込み祭り」のような内容へと、、、「それも思い込みやん」
とワイワイ笑いになっていったから軽やかさと解放感があって面白かったです。
例えば「○○さん△△なところあってそれちょっと違うて気になってるんやけど、そんなん傷つくかもしいひんから言われへんやん。」→「それちょっと違う」も「傷つくかも」どっちも思い込みやん!
という具合に、きりがないものですね。
だけど思い込みがあるから守れていることや、成り立っているものも
ありますよね。家族や町内や社会も。だからこそ概念や思い込みに気づきが
起きているだけでいい、それだけで自分の内側の自由自在の軽さが生まれるとわたしは思います。
どの話も自分も経験していることですし(今も)気持ちわからなくないな~と
聴いて体感しながらそこに居ました。
きっと思い込みや慢心さの解放が親戚みんなで起きたのではないかなと思います
お久しぶりの人もいたからより一層の部分で起きていたと思います。
今回実感として深まらせていただいたのが
やり取り、つまり循環は起きているものなんですよね。そもそも。
言い方を変えると何らかのご縁ある方々と
やり取り、が成立していないことはないと思います。
どの位置(流れ)で起きてるかに「気づく」真の視点をどれだけ多く持つかが大事かなと改めて
実感し深まりました。
無理やりでもこじつけでもなく(大事ですね)。
そこにはまずは、自分の内側に備わってる働きや力に気づいていくことで(巡り)
自然と、真の視点が増えていくと私は体験しています。
まとまりない内容になりましたが
よければ感覚でちょっとした参考にお読みくだされば幸いです。
それではまぁるくにっこり素敵な一日となりますように、感謝。