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でもなー。

おはようございます。

 

掲題の「でもなーーー。」ですが、

皆様いかがですか?

何かしようと思ったり、何か発言しようとしても

そのあとすぐに

「でもなー、○○かもしれないのでやめとこ。OR○○と思われたら嫌やしやめとこ。

OR○○になったら嫌やしやめとこ。」

という現実を創っていませんか?

かく言う私も数日前にこの自分が「でもなー。」が創り出した

現実によって深く学びました(所謂、いい悪い両面から)。

 

この「でもなー。」から生まれる現実は

誤解を恐れずに表現すると

偽りの現実です、制限をかけてますよね...どこからの視点の偽りかと

申しますと自分の中心・本体・本音・魂…これらの視点からです。

勿論、「でもなー。」の現実からも学びはあります、

私も先日学びました。

「でもなー。」をいい加減に抜けきろうと学びました。

確かに「でもなー。」の回数はとても減ってはいましたが、

我々はとても巧妙に多面体です。

瞬時に自己都合で使っています。

 

なぜゆえに、「でもなー。」から抜けきろうと思うかというと

やはり多くは自分本体の意志ではないことが多いからです。

勝手に創り出した自分の外側の世界に合わせに行ってるのです。

そうするとやはりグルグルと同じ位置を回りだし

本当の意味での所謂、本質での動きが起きなくなってきます。

自分の中心からの喜びが薄れます。

人生の満足度や充実度の質にかかわってきます。

 

ただ物事はすべて一対、

「でもなー。」が機能することもあります(危機管理など)。

だから「でもなー。」が上がってきたら

自分のどこからの発信なのか

確認してあげる必要があると思います。

本当に自分本体からかOR自分の外側の世界を勝手に創り出して合わせに行ってるのか?

 

自分においては手を抜かないことが大事ですよね。

これも自分を整え大切にするになりますから。

余りにも「でもなー。」の現実を繰り返していると

自分が機能不全を起こしていっぱいいっぱいになります。

講師育成に通っていた十五年以上前のことですが、

誰か周りの人にできる本当の意味での唯一のことは

自分を整え続けるのみです。

とずっと言われてました、本当にそうだと真から思います。

人は誰でも、あらゆる瞬間が新しいのです。

このいまの瞬間から、自分の意思次第で

自分の望むどんなことであろうともできる能力と自由さという

「愛」を持たされています。

さてどうするか、、、誰かや周りと同じでなくていいのです

そろえなくていいのです

自分にとって最高の今という瞬間を創り出す意思を良かったら

お持ちくださいませ。

 

 

それでは本日も有難うございます。

素敵で自分にとって最高の瞬間を重ねお過ごしくださいませ。