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思い出す(誤字修正版)

※誤字のままの発信になっておりました、

訂正しお詫び申し上げます。

 

 

改めて大切なこと、大事なこと

そもそもの事を思い出し

原点を確認する時ってあると思います。

 

 

ここ最近はそんな時でもあるなと実感しております。

 

現実的に、社会的に、全体的に

みんな同じ。

 

一人ひとりが自然に戻って、

ポテンシャル・自然な状態を取り戻し引きだして

いけばいいだけ。(自然、、、ずれても揺れても、失敗も自然なことってこと)

それが全体的にも自然なこと。

 

みんなそれぞれの役割があって、違っていいし、違うもの

それが自然。優劣もあってないもの。

違う、違うけれども根っこでは繋がってるし同じ、、、とてつもなく

安心感に包まれています。というよりも安心そのもの。

だから何かを奪い合わなくていいし、主張もしなくていい、

違うや違いがあるからこそ豊かで同じ(関係性)が深まっていくから。

これって基として家族や友人、

そして何より会社組織で養われることですよね。

 

単純に「私はこれができる人。」という特別になっていかなくていい。

過剰になっていかなくていい。

ただ全体の中の役割で在って違いなだけ。

出来る人・出来ない人、だれも特別ですごくない、、、

そう表現するならばありきたりな表現だけど

みんな特別でみんな本当に真に凄いんです。

どんな人でも。〇や×はないです。

 

かく言う私も人の子です。

そしてほーんとまだまだ過程です。

ここから自分のことの内容に流れていきますが

ついつい慢心になってしまいもします。

(ある意味この投稿も慢心ですよね^^。それもOKってことで)

だからこそ、言葉は荒いですが咎めてくれる人を

大事にしています。

ズレていった時や慢心になってしまったときに

ちゃんと𠮟ってくれる人です。

その方々とは真の関係性・肚からの関わりを

しています。

耳の痛いことを沢山言い合います、お互いに。

ここは本当に大事にしています。

愛がゆえにできることです。

存在が有難いです。

 

 

「わたしは、〇〇できる人」になってないか?

 

このことは状況によれば必要なことですし、大事なことでもあります

、、、使い方や活かし方がポイントになってきます。

 

究極は誰も何もできない。

手も足も口も出さない。

ただ真を伝える人、ただきっかけを与える人なだけ。

ここの違いを(ライン)を大切にしていきたいと思います。

 

時に曖昧さを美しさにし、

あっさりや割り切りという真の信頼を宝に

これからは更に遠慮なく

「まさよ」の「ま」、「真」を

ただただ伝えていきたいと思います。

 

どうぞ皆さまの内側の温かさを放ち

まぁるくにっこりお過ごしくださいませ、感謝。