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独りも誰かと居ることもどちらも好きです

こんにちは。

 

写真は去年の祭りの一枚です。

例年通りならば、今朝は曳き出しで今日明日と

10月の山手地区のだんぢり祭りでした。

 

ここ何年かは忠岡の生之町(生帰)に所縁を持たせていただいております(幼少時もです)。

 

やはり少し寂しいものです。

 

先日も親戚の兄さんと祭りについて少し話していたのですが、

「身体・魂にリズム・パターンとして沁みついている」

二人して同じことを言っていました。(これはこれで佳きことと思っています。)

 

だけども、今年は例年通りではなかった事から思い知らされ新ためることを

試みていることもあるようです(一部ですが)。

 

継承すべき根幹の部分は大切にし、

必要でないものはどんどん削ぎ落され

何となく流されるように出来ていたパターンも見直す機会となれば

いいのではないかと個人的には思います。

 

これは祭りに限らずあらゆることに言えることですよね。

 

内容がそれましたが

掲題の内容ですが、その通りで「独りも誰かともどちらも好きです」。

昔は、「独り」ということに過剰に反応するくらいに嫌でした。

常に誰かに依りかかっていました(依りかかっている事態にも気づかぬほどに)。

 

だけども、思い知らされる体験が何度かやってきて(また追々機会を見つけ書きます)

 

人は孤独でしか本当の意味で愛せない

 

孤独でしか人は愛せない

 

親に対してそしてパートナーに対してそれぞれの

エピソードを体験し思い知りました

 

秋という季節的にも孤独感や寂しさを感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

かく言う私も昔は秋の夕暮れは本当に嫌でした。(秋に辛いことが多かったのもあります)

 

だけども今は秋も本当に好きな季節です。

 

辛いことが起きたことから尊さを同時に気づけたし

孤独がどれ程に深い愛かも体験したからです。

 

これは何にも私が特別に体験したことでもなく

誰しもの中に存在していることです。

 

無理に必死にそこを気づこうとしなくても

「どうせ私には、俺には・・・」と思わなくても

 

そこに必死にならずにただ自分の身体を労うことを

繰り返してそしてほんの少し意識的により深く労って

あげることをやってみませんか?

「この食べ方どう?飲み方どう?」ジャッジではなく

内臓に負担いっていない?とか。

運動しなくては!ではなく少し動かした方が身体の巡りや循環よくなり

気持ちや心地がいいのでは?とか。

こんな具合からでいいと思います。

そんなことで、、、とお思いかもしれませんね。

はい♡そんなことが大事と思います^^

 

自分本来の感性・感覚が蘇ってきます。

 

それでは、皆さまそれぞれにとっての

素敵な時間をお過ごしくださいませ。

感謝。