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人類とは。

おはようございます。

ここ最近、、、

「実践・体験の場」の時間を過ごしております。

とても日にちが経過した感覚です。

 

それは、参加者の方との時間...そして実父、母との時間。

学びの時間。

 

大きな選択を委ねられることもあったりと

少し目まぐるしくもあるのですが

 

実践・体験は確かに大事です

そしてとても学びというか深く気づきが生まれます。

 

だけどももっと尊いことに

ここ数日で実感したことがあります。

 

それは自分が明確にどんどんそぎ落とされる感覚を実感しました

そしてそれを掴まない感覚も(必要な時にまた顕れてくれる)。。。

 

具体的に言うと、現実に起きてること一つひとつ

重みが乗っからない、囚われないという感じです。

 

実践・体験は確かの大事だけども、それをいかに掴み続けないかということも

体感していました。

何にも握っていないに近しい感覚です。

 

今、今、今、をただ繰く返しています。

この繰り返しはとても軽やかです。

 

そして先日はある学びを深める日でした。

もう、、、始めて六年以上経つかも。。。

繰り返して深めていくことって尊いなと思います。

 

そこで出てきた話ですが、「人類」という括りでの話ですが

人って「誰かだから、あの人だから、、、」ではなく

人類ってみんな追いつめられると

とんでもないことをやってしまうものですし、もしくは

何にもできなくなるものだと思います。

かく言う私自身も、昔はあらゆる側面から余裕やスペース、余力というものがなく

自分の事だけで精一杯だって、、、人の事気遣いしている「つもり」で

実際は自分のことしか考えれていませんでした。

そして何よりも、恥ずかしくてここに記せないこともたくさんしてきました。(しでかしてきました笑)

 

このように自分も体験して思います。

決して自分を擁護するわけでもなく、人類なら誰しも起こりうることだと思います。

 

始めに書かせて頂いた何かに囚われるや掴む事にも

言えますし

とてつもないことをやってしまうにも

言えることですが、

 

自分に「余裕」「ゆとり」「空間」「余力」「スペース」

ってつくづく大事だと思います。

何か起きた時にアレンジできたり選択できる自由さへとつながります。

(捉え方に自由さがある)

 

それには私自身も体験→経験してきたことですが、

思い返しやはり思うこと。

「身体」をまずは自分で緩めてあげること、そして息をしやすい身体に

戻してあげること。=身体に空間が在るということを自分でやることで

解るようになります。そしたら自分の思考の質も変わってきて

こころの状態も変わってきます。

まさに「そういえば気が付けばここ最近、、、。」

という具合に変容を感じます。

 

まずは自分の「身体」をちょっと楽に軽くしてあげることです。

 

それが「軽さ」「余裕」のこころの在り方に連鎖していきます。

 

今日は少し文が長くなりましたね、

本日もありがとうございます。

 

息を吐きだして、ちょっとにっこりと

今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。