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「つもり」が創りだすもの

おはようございます。

 

唐突ですが、よくお伝えしていることですが

私はこちらのブログもそうですし

公私共の活動も勿論ですが

私の原点であり根っこ、

またアンテナであり電波も

「愛」がすべての方向性であるように

意識と意志を持っています。(時にぶれてもOK・戻ります)。

 

そういう意味では「~のつもり」で居る時は

愛の位置ではないことを創り出している体感をしています。

例えば、「できているつもり」「伝えているつもり」等々…

どう違うかと申しますと、

細部まで細かく表現すると、長くなりますので

端的に言えば「独りよがり」の感覚です。

自分だけの世界でこもっている感覚です。

つまり分離・分断が起きている状態です。

 

コミュニケーションで言うと

「確認」はとても大事だと思います。(※相手と通す・コミュニケーションを開く)

例えば、「○○さん以前に△△と言っていたけど返事まだだな。どうなってんやろう~」

「○○さん違和感を感じるよな、もしかして何か不快にさせたのかな?」

モヤモヤを抱いてたり、蓋をして重い状態で居るのなら

その自分から発するもので自らにも周りにもよい影響を与えません。

そのような世界や状態で存在してるのなら

今の世の中、「面倒がられるのでは」という不安から

「もういいか~。」と怯むのも解りますが

確認したらいいのではないかと思います。

決して不安や恐れを根っこに持ってではなく

その根底にある自分の本間の本音に触れに行き(きっと繋がりたいという本音では?)

自分の根っこの「愛」を抱き相手と一つになる感覚です。

自らの考えと思いは離さずに持ちこたえつつ

そっと相手によって触れにいく感覚で

「確認」は堂々としたらよいかと思います。

どんどんと自分の中はもちろん、周りの方々との回路も通りよく

していきましょう。

 

自分の頭の中で様々な知識やマニュアルを使い

「あーだからこーだな、だからこうに違いない。だからよし!」

と一人で勝手に解決した「つもり」で済ましてしまうのではなく

やはり私達はこの世に共に今を生きています。

触れ合っていきましょう。

自分で行動し、相手と触れ合って体感して

体験して一つになっていきましょう。

それが愛であり、

本当の意味の自分の器にもなっていくと

思います。

 

「つもり」というと先日もある学生との時間で

パソコンなのかスマホなのか検索した知識情報で

自分で解った「つもり」で話していました。

大人にも多いかと思います。

私も経験あります。故にこの「つもり」が

創り出すある意味怖さも経験しています。

限界が来ますし、ぶっちゃけてばれます。

単なる上っ面でしかない感覚です。

だけども自分も含め今の時代だからこそ

誰しも簡単に陥ることです。

だから自分で先ずは両方を経験したらいいかと思います。

 

両方を経験した上で私はやはり

自分の五感を使い肉体を介して体感し

自分の経験にあらゆることをしていきたいです。

自らで多くを体験して息を感じて生きていきたいです。

それが生きることだと今は心から思っています。

 

「つもり」を自分の本物にしていくことは

喜びですね、そして本質を持った拡がりがあります。

 

本日は長くなりましたが

有難うございます。

 

今日は二月三日で節分すね、

そして明日が立春という節目です。

どうぞ心身・意識を軽やかに心地よくお過ごしくださいませ。